それな!芸能ニュース

それな!芸能ニュースは2chまとめブログです。

    2019年04月



    (出典 miyabiki.com)



    1 砂漠のマスカレード ★ :2019/04/27(土) 23:48:30.31 ID:OT2iS8Hn9.net


    (出典 image.news.livedoor.com)


    4月25日放送の『直撃!シンソウ坂上』(フジテレビ系列)で、坂上忍が尾崎豊さんのプロデューサーとして知られる須藤晃氏を訪ねて、27年前に亡くなった尾崎さんの知られざる一面に迫った。

    尾崎さんが1983年に18歳でリリースしたデビュー曲『15の夜』は、中学校生活の実体験をもとに作られた。
    学校での頭髪検査で、尾崎さんの友人は髪を短くしたのに、先生から髪の毛を切られてしまう。
    この話を聞いた尾崎さんは激怒して、家出の計画を立てたという。

    だが、『15の夜』は、紆余曲折を経て生まれたものだったという。須藤氏は尾崎さんが少年時代から書きためていた「創作ノート」を公開。
    当初は『無免許で』というタイトルが予定されていた。須藤氏は「無免許でバイクを乗り回して、酒を飲んでみたいな。僕はこの詞ではダメと言ったんです。
    つまり、『大人はこの詞のどこに共感したらいいんだ?』って」とダメ出ししたという。

    須藤氏は創作ノートにあった「自由になれた気がする」の一文に注目してアドバイス。
    そこを活かし、「『バイクを盗め』ということを歌っているわけではなく、『バイクを盗んだって自由になんかなれないんだよ』って。
    自由ってそんなものじゃないんだよ」と、尾崎さんが伝えたかったメッセージを代弁した。

    1985年3月にリリースした2ndアルバム『回帰線』がオリコン1位を記録。19歳でトップミュージシャンとなるが、それから約10カ月後、人気絶頂のさなかに「無期限活動中止」を発表。

    その理由を須藤氏は「彼が言っていたのは、『俺はすごく個人的なことを歌っているのに、何でみんなを扇動しているみたいに言われるのだろう』と。
    彼が出て行くと、両手を合わせて拝み倒すような雰囲気になっていたことに戸惑っていました。音楽をやっていることが楽しくなくなってきたんじゃないですか」と語った。

    尾崎さんのバンドでドラムを担当していた吉浦芳一氏は、「19、20歳の年齢になって、『15の夜』をいつまでも歌うのは歌いづらいと言っていた」と本人が葛藤してたことを明かした。

    尾崎さんは活動休止して、単身ニューヨークへ渡るが、半年で帰国。さらに1987年12月、覚せい剤取締法違反で逮捕される。

    多くのファンを裏切った形になった尾崎さんは、人生でたった一度きりの歌番組への生出演を決意。それが1988年6月22日放送の『夜のヒットスタジオ』(同局系)で、「ご心配をおかけしました」と騒動を反省。
    「僕の素直な気持ちを曲にして、これからずっと歌っていきたいと思っています」と、贖罪と感謝の念を込めて拘置所の中で歌詞を書き上げた『太陽の破片』を熱唱した。

    それから3カ月後、尾崎さんは東京ドームで行った復活ライブで大成功し、完全復活を果たした。

    だが1992年4月25日、自宅近くで倒れているところを発見され、26歳の若さでこの世を去ってしまう。

    以降も尾崎さんの人気は衰えることなく、1994年1月には『OH MY LITTLE GIRL』がドラマ『この世の果て』(同局系)の主題歌に起用され、ミリオンセラーとなった。

    そんな同曲を、デビュー前の17歳の尾崎さんが歌う貴重なデモテープ音源を須藤氏が公開。その歌詞とメロディは一部が変わっており、当初はサビを「となりのLITTLE GIRL」と歌っていた。
    同曲にも助言していた須藤氏は「売れるとは思わなかったけど、特別な感じはしました」と見解を述べた。

    坂上は「尾崎さんはカリスマなのか、成功者なのか、犠牲者なのか、何なんですかね?」と質問。
    すると須藤氏は「すべてが当てはまりますけど、いまだにこれだけ、みんなが興味を持ってくれる存在だから、それはよかったと思います」と今も尾崎さんの音楽が人々を魅了していると指摘した。

    http://news.livedoor.com/article/detail/16384214/
    2019年4月27日 13時55分 Smart FLASH


    (出典 Youtube)

    尾崎豊 15の夜


    (出典 Youtube)

    尾崎豊 卒業


    【【芸能】尾崎豊の『15の夜』、仮タイトルは『無免許で』だった】の続きを読む



    (出典 i.pinimg.com)



    1 砂漠のマスカレード ★ :2019/04/30(火) 14:24:33.83 ID:5Fh7M/OX9.net


    (出典 image.news.livedoor.com)


    女優の小松彩夏が30日、自身のブログを更新。前日29日の“平成最後の肉の日”に、2003年に放送のドラマ『美少女戦士セーラームーン』で共演した美女たちと“平成最後の戦士会”を開催したことを発表した。

    小松は「昨日は久しぶりに戦士5人が揃いました 平成最後の肉の日(29日)に大好きなお肉をいただきました」とつづり、北川景子、泉里香、安座間美優、沢井美優との5ショットを公開。

    「ちょこちょこ個々で会ったりはしてたけど5人揃ったのは 久しぶり♪」と明かしながら、
    「やっぱりなんともいえない安心感。私たち、人生の半分以上 一緒にいるねー!!なんて笑って話してたけど、業界の友達というよりは、本当に幼馴染の ような関係だと思います。
    戦士がこの5人で本当によかった」と平成最後の集結を喜んだ。

    http://news.livedoor.com/article/detail/16394645/
    2019年4月30日 14時6分 オリコン


    【【芸能】『セーラームーン』美女が“平成最後の戦士会”で奇跡の大集結】の続きを読む



    (出典 image.news.livedoor.com)



    1 砂漠のマスカレード ★ :2019/04/30(火) 13:07:26.90 ID:5Fh7M/OX9.net

    お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さん(53)が2019年4月30日、NHKの改元特番「ゆく時代くる時代」に出演し、
    1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件の際の「危機一髪」の体験を明かした。

    この日、東京・六本木にあるテレビ朝日で番組収録があったという太田さんは、収録に向かおうとしたところ、相方の田中裕二さん(54)から電話があり、
    「地下鉄が止まっているからタクシー拾ってきた方がいい」との指示があったという。何が起きたのか分からないまま指示通りにタクシーで
    テレビ朝日に到着すると番組収録が始まったが、その際に、観客席で「異変」が起きたという。

    「何人か吸っちゃってて」
    とりあえず番組収録が始まったものの、ほどなくして観客の何人かが体調不良を起こしたという。その時の様子について太田さんは、
    「お客さんの中で何人かが(サリンを)吸っちゃってて、何人か(病院に)運ばれたんですよ」と説明。
    併せて、「(収録の)時間がちょっとずれてたら、あの電車に乗ってたはずなんです」と、危機一髪の状況でサリンの被害を免れたことを明かした。
    地下鉄サリン事件では、当時の営団地下鉄(現在の東京メトロ)の丸の内線、千代田線、日比谷線の3路線5編成でサリンがまかれたが、テレビ朝日に近い六本木駅は日比谷線の駅である。

    太田さんの自宅は、東京・阿佐ヶ谷。そこから、

    「『阿佐ヶ谷道場』っていうオウムの道場が当時あって、そこに、『麻原が潜伏してんじゃないか』っていう話もあったぐらいで」
    と、昨年7月に死刑が執行された元教団代表の麻原彰晃こと松本智津夫・元死刑囚についての怪情報が流れていたことも明かし、当時の恐怖を語った。

    http://news.livedoor.com/article/detail/16394283/
    2019年4月30日 12時13分 J-CASTニュース


    【【芸能】爆笑太田、サリン事件で危機一髪だった 「ちょっとずれてたら、あの電車に...」】の続きを読む



    (出典 img.tokyo-sports.co.jp)



    1 muffin ★ :2019/04/30(火) 17:33:48.29 ID:wSdy505Y9.net

    http://japan.techinsight.jp/2019/04/miyabi04292243.html
    2019.04.30 1

    長唄の最大流派「杵勝会」の第十二回全国大会歌舞伎座公演が、4月27~28日に開催された。2007年に乳がんが発覚し摘出手術を受けた後に長唄を始めたという山田邦子は、「杵勝会」杵屋勝之弥師匠のもとで稽古を重ね、晴れて東京・歌舞伎座の大舞台に立つことができたという。この舞台には母親や友人、そしてたくさんのファンが駆けつけてくれたのだが、「とても残念なことがあった」そうだ。

    29日のブログで「歌舞伎座という聖地の真ん中で歌わせていただけた」と興奮冷めやらぬ様子の山田邦子。師匠から“杵屋勝之邦”との芸名をもらい、日々稽古を重ねてきたが「ものまねが得意なはずなのに、何故こんなにてこずるのか?」、「譜面が読めるのに学校の勉強も出来たのに、なんで調子が取れないのか?」と悩み続け、ついには「むいてないのか? 辞めようか…」とまで思い詰めたこともあったという。

    本番当日、彼女の努力を間近で見てきた師匠に背中を叩いてもらい、歌舞伎座の舞台に立った山田邦子が目にしたのは「母や友達、ファンの方々」、「遠方から来てくださった知人」そして「昔からお仕事でお世話になっている方」と大勢の知り合いの顔であった。「みんなの無言の『がんばれ~』が心に届き、落ち着いて唄うことが出来ました」と、

    感謝の言葉を綴っている。しかしその一方で、客席には太田プロダクションのスタッフが誰一人いなかったらしい。
    今年で芸能活動40周年を迎える山田邦子が、デビュー当時から世話になっている太田プロ。「この事は新しい令和の年に向けいろいろ整理が付く、出来事にもなりました」「残念です」と意を決したような彼女の文面が気になるところだ。

    ♦抜粋
    39年所属しておりました太田プロダクションの
    事務所スタッフには
    誰ひとりも観てもらえなかったことが
    とても残念でした
    この事は
    新しい令和の年に向け
    いろいろ整理が付く、出来事にもなりました。
    残念です
    https://ameblo.jp/yamadakuniko/entry-12457559131.html

    (出典 static.techinsight.jp)


    【【芸能】山田邦子、所属する太田プロの事務所スタッフが誰ひとり長唄の舞台を観に来ず「残念です」】の続きを読む



    (出典 hzrd97.info)



    【岡井千聖の芸能活動休止がテレビで一切取り上げられず話題にもならない件】の続きを読む

    このページのトップヘ